憂うつな気分が続き、毎日過ごしている事に意味を見い出せません。

ノイローゼ、うつと診断されたものです。
早いもので発症から1年が経とうとしています。しかし薬を飲んでも自傷をしても楽になれずにいるため、このしんどい気持ちから開放されるにはやはり死ぬしかないのだとと思っています。自分の中ではすっかり『 死は救済 』なのです。

わたしは特別人間関係で悩んでいるわけではありません。現在の職場ではメンタルヘルスに問題があることを伏せていますが、身近には比較的理解のある親や友人もいます。
しかし親や友人には流石に希死念慮のことまで伝えられていません。そこが本質ではあるのですが…
みんな一生懸命働いて生活している中で、怠けてばかりいて向上心もなく、生活力もなく、恋愛にも興味をなかなか持てない生産性のない自分が『死にたい』と相談したところで甘え以外の何者でもないでしょうしそろそろ一瞥されてもおかしくありません。生きているだけで無駄に消費するものが多いし、それなら自分なんて居ない方がいいだろうと思うのです。
自分は周りの人にとっての足枷でしかありません。

相談したら一定の確率で返されるであろう『生きていればいいことあるよ』とか、『死んだらみんなに迷惑かかるから死んだらダメだよ』とか、『生きたくても生きられない人がいるんだよ』とか、『今つらくても明けない夜はないよ』とか、そんなん正直どーーーでもいいんですよね。
わたしの人生にいいことなかったら責任とってくれるんですか? いいことって貴方の物差しで語ってないですか? 生きている時間の方がよっぽど人様に迷惑かけると思いますがどうなんですか?死後迷惑かける時なんて死体発見時と葬儀関連がほとんどを占めるのではないですか? 誰かに産んでくれと頼んだ覚えもありませんが?誰が生きたくて誰が死にたいとか知ったことではないんですが? 朝が来ようと夜が来ようと死にたい気持ちに変わりはないんですが?先の見えない未来に希望を見い出す気力なんてありませんが?

……と、こんな否定的な言葉ばかり浮かんでくる自分も嫌いです。法がなければ殺してます。
如何せん頭から『死』が離れず、服毒がいいか出血性ショック死がいいか練炭がいいか…そんなことを考える時間が増えました。

身辺処理をする気力が戻ってくれば片付けをし、口座からお金を下ろして家族に渡せるように手続きを済ませ、葬儀も最低限のものを簡単に済ませられるように手配しておき、自宅外の人目のつかない場所まで行って練炭でも炊いてさっさと死にたいです。
これができたらようやく自分の人生に合格点がつけられます。